槻友会 - 高槻中学校・高等学校同窓会

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10期 三三会「母校見学・昼食会」開催 ~コロナ第6波・第7波の谷間で幸いでした~

 私たち10期生は、昭和33年卒業なので三三会(サンサンカイ)の名の下で親睦を深めてきました。進学、就職などで関西以外の在住者もいるため還暦を中間地である豊橋近辺で祝って以来、できるだけ集まる機会を多くすることに努めてきました。新年会、円山公園での観桜会、夏の高校野球地方大会の母校応援、甲子園での野球観戦、忘年会などの恒例行事の他、白川郷でのどぶろく祭、岸和田のだんじり祭見物、造幣局見学などアイディアを出し合って集まってきました。

 しかし、寄る年波には勝てず一人欠け二人欠け、欠けないまでもご本人ばかりでなくご家族の体調もあり参加者が徐々に減ってきたところにコロナ禍となりました。モヤモヤした気持ちが続いていましたが、今年になってワクチン効果や皆さんの予防努力のおかげで小康状態となり、行動規制も緩やかになりました。「ボチボチ集まっとかんと本当に会えないままになるで」の声が高まって、無理のない範囲でなんとかやることにしました。荒井淳蔵、荒谷隆三、柏本雅昭、蔵所悟、難波江正久、藤田幸三、湊正義、森田俊一が何度か昼食会と称して梅田のビヤホールに集まって相談を重ねました。その結果、①校舎・施設の整備が終わり、高校3年まで完全共学化となった母校を見学する ②懇親会は昼食とする(夕方はしんどい) ③遠方からの参加者も新幹線を利用するなら日帰りができる日程にする ④実施時期は暑いの寒いのと言わずやれるときがベストシーズンとする などを基本として母校とご相談する、としました。我々の後輩でもある母校の事務長・佐塚琢司さん(43期)にご尽力いただき、また昼食会場の選定には地元で司法書士事務所を営んでいる長谷川輝男の世話になり、「三三会 母校見学・昼食会」開催の運びとなりました。

 2022年7月11日(月)、好天に恵まれ、11時半過ぎにJR高槻駅、阪急高槻市駅に集合して母校へ。佐塚さんの出迎えを受けて母校図書館に案内していただきました。司書さんがおられる堂々たる設備と蔵書に圧倒された14名が、生徒たちが読書や自習している一角に着席して学校案内をベースに母校の現況の説明を受けました。施設や設備の立派さ、希望する進路に応じたコース選択や海外研修など想像もできないような教育内容にただただ驚いている間に40分経過。懐かしい木造校舎や昔の行事の写真がバックに流れる「生徒歌」フルコーラスをビデオで見せていただきました。物理・化学・生物などの実験室、舞台を円形に囲む講堂や、中学・高校としては関西最大級とされる図書館(蔵書6万冊以上)の全容などをゆっくり見せていただく時間が取れないスケジュールを組んだ悔いが残ります。誰かが「こんな学校で学んでいたらオレももっと…」と言うかとは思っていましたが、「こんな学校やったらオレは入れてもらわれへんやろ」にも共感を覚えました。学習塾の宣伝チラシが新聞に折り込まれて配達されますが「当塾から灘中に○人合格、神戸女学院中に○人合格」に加えて「高槻中に○人合格」を見ることが多くなりました。

 記憶にある風景は一片もなく、女子中学高校生が行き交う校内でしたが「真面目に 強く 上品に」を卒業生でもある工藤校長先生はじめ各先生方が折にふれ生徒に説いておられるとおうかがいして心強く思いました。私は生徒時代に吉川校長が「上品とは難しいことだ。ずっとずっと考え続けろ」とお話になったことを思い出します。
 待機させていたタクシーに分乗して昼食会場へ。会場に直行した2名を加えて13時頃まず記念撮影をして開始。藤田の司会で手短な近況報告(といっても病状報告みたいなもの)(手短と言っても16名がやると40分超となる)のあとは恒例のワイワイガヤガヤ。会場が高槻市総合センター15階とあって、長谷川が「あれがJR高槻駅、そばの高層ビルは…」「あの辺が新名神のインターチェンジ」などと説明してくれ、田んぼ道からの風景しか見たことのない者は感嘆するばかり。

 シルバーマンションの「期待の若手」になった話や、病状の詳細を語る者もあり、久しぶりの「オレ」「お前」の会話がはずみました。しかし、以前のように議論白熱、談論風発、口論に至るとはならなかったのは、みんな円熟したせいか、年を取ったせいなのか。17時台前半の新幹線利用組のため設定した15時半にお開きの昼食会では、2つの想定外がありました。年も取ったし、昼食でもあるし、と控えめに準備したはずのアルコールがそれでも相当量余ったこと、集合写真や「遺影にエエなぁ」と喜ばれながらスナップ写真を撮ってみんなに配信してくれている柏本が「画にならん」とぼやいていたことです。テーブル上のアクリル板が光を反射して写真が撮れないとのことでした。いつかこんな機会がまた持てるなら、アルコール量はともかく、テーブルのアクリル板は不要になっていてほしいものです。

 

 コロナ感染の第6波と第7波の谷間が利用でき、交通機関の乱れや通信障害の被害に遭うこともなく、スケジュールどおり行事を終えることができ本当に有り難いことでした。みなさん、ありがとうございました。お疲れさんでした。お世話くださった佐塚さん、ありがとうございました。

 

(森田俊一・10期)