高槻中学校・高等学校の初代校長・吉川昇先生は、在任中「真面目に 強く 上品に」を教育モットーに掲げるとともに、丹念に日記を書き続けてこられました。
日記は昭和16年8月1日から48年9月1日まで毎日欠かさずに書き込まれています。この13冊の日記を、吉川昇初代校長の孫で元毎日新聞常務取締役である秋山哲氏が編集されました。
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本書について ~「はじめに」より~
私立高槻中学校・高等学校は、2010年(平成22年)に創立70周年を迎えた。70年の歩みを重ねたこの学校は、関西でも評価の高い進学校へと育ってきた。
中学校を設立したい、という教育意欲に燃える地元の期待に応えて誕生したこの学校の歴史は、しかし、順風満帆ではなかった。とくに創業期はまことに不幸であった。開校した1941年(昭和16年)の12月、日本は太平洋戦争に突入する。総力戦をスローガンに、中学生も軍需工場に動員された。新築ほやほやの校舎は軍の兵舎に召し上げられた。先生たちは次々に戦場に送り出され、戦死する人も出た。生まれたばかりの高槻中学校は、教育どころではなくなる。戦争の嵐に翻弄されていった。
太平洋戦争での敗戦は、新たな苦難をこの学校に強いた。GHQ(連合国軍総司令部)の指示による学制改革である。中学校が公的な義務教育となって、私立中学校の存在意義をどこに求めるか。新しい6・3・3制という教育制度にどう対応するのか。学校の将来を左右する大問題を抱え込んだ。進駐軍主導の民主教育、さらに価値観の変動にも向かい合わなければならない。特定の宗教や思想、あるいは特段の支援者を背後に持たない、全く独立系のこの学校が、時代の波を乗り切れるのか。
高槻中学校創設にあたって招聘された初代校長が吉川昇である。岡山師範学校、京都府立第一高等女学校、あるいは土佐中学校、灘中学校などの有力教育機関で長く教育に携わった実力が買われたのである。
高槻中学校に着任するとともに、吉川は「真面目に、強く、上品に」を教育モットーに掲げ、理想と考える教育を実現しようと、先生たちの先頭に立って働く。公立中学校が中等教育の主流であった当時に、優秀な先生を揃え、質のよい生徒を集めることによって、公立に負けない教育実績を上げようと、努力を重ねた。さまざまな苦難の中で、先生たち、生徒たち、そして生徒の家庭に自分の信念を語りかけ、この学校の基礎を築いていった。
校長在任の20年余、吉川は毎日、日課として、丹念な日記を書き続けた。この日記に苦難の創業期がありありと浮かび上がる。
時流におもねることをしなかった頑固・反骨の教育者、揺らぐことのない教育目標を持った人物、生徒に愛の鞭を振るい続けた男、吉川昇の日記から、戦中、戦後、10年余りの苦しみに満ちたこの学校の航路と、教育界を取り巻いた激動をまとめる。
こんな方におすすめ
- かつて初代校長に教えを受けた卒業生にとっては、自己形成を確認する書として
- 在校生・保護者・教職員にとっては、本校の歴史や校風を理解する参考書として
- 一般の方にとっては、戦中戦後の社会状況、教育政策、学校経営などを語る「時代の証言書」として
本書は極めて特殊な環境での一私学の記録ですが、現代の学校と教育の参考となる普遍性と先見性も備えています。また、明治生まれの頑固一徹な校長が主人公の人間ドラマでもあり、さまざまな関心をもってお読みいただけます。
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吉川昇初代校長 略歴
1886年〔明治19年〕 和歌山県で誕生
1904年 東京高等師範学校英語部入学
1908年 岡山県師範学校教諭兼訓導
1916年 高知県立第三中学校教諭
1919年 京都府立第一高等女学校教諭
1929年 土佐中学校教諭(校長事務取扱)
1930年 高知県立第二高等女学校教諭兼任
1936年 灘中学校教諭(教頭)
1941年 高槻中学校初代校長就任
1961年 高槻中学校・高等学校校長退任
1973年 死去。87歳。俳号「黒馬」
『吉川日記』内容抄録
第一章 高槻中学校の誕生
1 開校は太平洋戦争開戦の年
国家的祝賀の記念事業として
交通至便な高槻に
<注> 京阪電車と新京阪
<注> 大阪医専理事長を兼ねた藤堂氏
2 初代校長に吉川昇を招聘
「吉川に舞台を与えよう」
臥薪嘗胆が合い言葉
3 校舎は秋に完成
新校舎での清々しいスタート
<注> 高槻発展に尽力した礒村氏
4 公立を見返してやる
四、五年後に他校を抑えるつもり
第二章 「真面目に強く上品に」
1 徳育、体育を重視
嘉納治五郎の薫陶を受けて
登下校は駆け足
2 「さもしさ」を排斥
後ろから見ても分かる高槻生に
浸透していた「上品」
上田敏の影響か
3 厳罰主義と温情と
湯茶を我慢せよ
強制なしに教育はない
教育の力は弱い
第三章 反骨と抵抗の校長
1 教育の破壊者は文部省
時流におもねらない
<注> 日本の兵役と学徒出陣
私立軽視は不都合
特高警察が来る
敗戦後も変わらぬ反骨
2 不真面目が国を滅ぼす
<注> 報道統制と大本営発表
不真面目な為政者を八つ裂きに
<注> 授業停止と学徒隊
米英よりも憎みて余りある獅子身中の虫
<注> 玉音放送と戦争終結
戦犯、追放まことにすがすがしい
3 涙もろい男
三人の校長を涙で送る
第四章 学徒動員と空襲に耐えて
1 教室から工場へ、農村へ
<注> 開戦時の日本人の心境
農業奉仕から始まる
<注> 兵器生産拡大へ学徒動員
生徒のこと思えば不愉快なことばかり
会社の営利主義を怒る
<絵図> 勤労動員の図(卒業生右田氏)
2 学校は崩壊する
中学生の使命を忘れるな
工場とのトラブルも
動員先を集約できないか
非常事体制の第一回卒業式
3 連日の空襲の下で
入試は身体検査だけ
生徒の爆死
<注> 度重なる大阪大空襲の悲惨
「誓ってやります」と泣いて答える
<写真> 吉川自筆の「真面目賞」
第五章 戦争に教員を奪われる
1 難航する先生探し
先生を増やさなければならない
大物京大教授たちの助力
2 出征する先生続出
開戦直後に赤紙がくる
毎月の応召、そして戦死
教練は破産
3 先生次々に病に倒れる
我が校の礎石崩れんとす
第六章 軍事優先の時代の中で
1 軍による校舎接収
兵隊、出征の軍装で校舎に入る
一隊去ればまた一隊
防空壕を掘ってくれる
2 配属将校という問題
私立への配属は任意だが・・・
冷淡な軍の責任者
銃購入で詐欺に遭う
配属将校ようやく決まる
3 生徒も戦地へ赴く
学校は兵士を作るところ
予科練に、海兵に
慚愧にたえず
第七章 戦後教育改革とインフレ
1 私学を悩ます学制改革
敗戦による挫折はなかった
教科書回収と民主教育
罵倒する進駐軍
灘中学にアドバイスする
六・三・三制が始まる
公立中学との争い
中高一貫教育にかける
文部大臣に直訴する
2 つづく教員不足
復員する先生、転任する先生、・・
3 経営を揺るがすインフレ
<注> 物価上昇は戦前の二百倍
授業料は二年で二〇倍に
教員の待遇改善に努める
第八章 押し寄せる民主化の渦
1 労働問題に揺れる
校長会は毎回労働問題
教員に私学の立場訴える
2 民主主義と学園
進駐軍の命令ですから
記念行事への寄附を断る
自治会は稽古
第九章 現場教師を貫く
1 厳格な英語授業
2 運動会、学園祭、野球
大学進学は真面目の副産物
南部忠平氏来る
学園新聞の発行
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編著者・発行者・販売者
編著者… 秋山 哲(吉川昇の孫、元毎日新聞社常務取締役東京本社代表、経済学博士)
発行者… 高槻中学校・高等学校創立70周年記念「吉川昇日記」刊行委員会
販売者… 槻友会(高槻中学校・高等学校同窓会)