思い出エピソード 上林 賢一さん(17期)

 昭和38年(1963年)、沖縄県首里高校が夏の甲子園に出場を果たしたときのこと。なにがどうなってこうなったのか判然としませんが、我が高槻高校が友情応援にかり出されることになり、急きょ応援団を結成することとなりました。我が高校の先輩が、首里高校の校歌や応援の動作を教えに来られ、「そんな声で選手に届くか! 声が小さい!」と言って、当時の2年生は夏休みにしごきまくられました。それでもなんとか格好がついて、さあ、いざ本番。

 その年は日程の都合とかで、甲子園球場と西宮球場で大会が行われ、首里高校の試合は西宮球場でということになりました。高槻高校応援団の隣には、これまた友情応援にやって来た女子高校のブラスバンド部が陣取っていて、楽器を持った女子高生が大勢いたので、ボーッとなりました。

 試合前に我が団長とブラスバンド指揮者が打合せをして、なんと私が大太鼓を叩くことになりました。沖縄県人会の方々もたくさんいらして、試合前から指笛がピューイピューイと鳴りわたり、お祭り騒ぎ。試合は終始首里優勢で、整然と鳴りわたるブラスバンド演奏の横で、沖縄の皆さんが踊りまくり、三三七拍子の太鼓は無茶苦茶の乱打! ブラスバンドの指揮者が血相変えて叱りに来るわ、トランペットの女子高生には睨まれるわ、もうワケのわからん応援団と化していました。

 試合の結果ですか? さぁ、1試合目は勝ったように思いますけど…。