17期生 初めて母校を訪れるの巻

 ホームカミングデーに行って来ました。

 8月に同期会をしたばかりなので、“10人~15人位の参加になるかなあ”と思っていましたが、母校から“卒業50年をお祝いするので是非参加してください”との案内手紙の効果もあって、25人の参加になりました。その中で1組・上林賢一君、尾山和平君、小名川章君、2組・西村秀明君、3組・平山敬三君は初めて同期の集まりに参加してくれました。

 久保先生が来られていましたので、二次会に拉致しました。

 それでは、その日の模様をお伝え致します。

 阪急電車高槻市駅を出ると、店、店、店の賑やかさ。通学していた頃は駅から伸びる斜めの道だけやったのに・・・。“この道やったかな?、こっちやったかな?” 浦島太郎です。

 母校の正門が170号線側になっていました。記憶にある雰囲気と違います。正門から入ったところに “真面目に 強く 上品に” の石碑を見て、段々母校の感じになってきました。忙しく動いてられる今回ホスト役の19期の皆さんの前を通ると、煙が上がって焼き鳥の匂いがしてます。在校生の一団です。彼らを眺めていて、我々の時代との違い・・・坊主頭の”いもがらぼくと“であった我々と、長髪の”シティボーイ“の彼ら。後輩なんだけどなかなかピンとこないなあ。そして我々の時はエナメル塗装がハゲチョロケになったピアノ、申し訳みたいな音楽の授業。今は吹奏楽部があるんです。

 参加者に楽しんで貰う仕掛けが野点(32期生・裏千家)、古本市、吉川昇校長を偲ぶコーナー、等と工夫してあるんです。風が冷たいので、食堂に行っていると同期が次々と顔を見せ始めました。

 セレモニーは1時から始まりました。8・9・10期の先輩への謝恩、そして卒業50年になった17期のお祝い。松村晴雄君(永年学年幹事をしてもらってます)に登壇して貰い、お祝いを受けて貰いました。母校は2年後に共学になります。70年男ばっかり文化やったのに。文化大革命やんか。母校の戦時の話、吉川昇校長先生の思い出、男子校への愛惜? そんな座談会“俺たちのモン”がありました。旧2期生から若い6?期性までの10人程が思い出を語ってくださいました。それを聞くと我々はスパルタ式、ほぼ最後の世代だったようです。“手袋禁止、オーバー禁止、電車は立ったまま、通学路は駆け足、丸坊主”。僕らモデルチェンジ前の最終の旧モデルやったんや。

 岩井校長先生から高槻中学・高校のこれからの話がありました。来年から校舎建て替え工事が始まり、ほぼ全部の校舎を6~7年かけて建て替えるそうです。これから母校がより発展、羽ばたこうとしているのを感じました。最後は大迫力のブラスバンド演奏と新しく出来た校歌の斉唱。生徒歌の方がしっくりくるなあ。食堂の懇親会のご招待で下ごしらえをして、久保先生と19人で高槻の“がんこ”で二次会をしました。いつも通りです。ギャアギャア、わあわあ。

 みんなで来て良かったです。HCDもその後も。

 槻友会の役員、スタッフの皆さん、在校生の皆さんに感謝。特にホストを頑張っていただいた19期の皆さんに厚くお礼申し上げます。

                           いもがらぼくと

▼こちらにも写真がたくさんあります(今中幹雄様 撮影・公開)
https://onedrive.live.com/?id=BEA9F1C5C31E323A%21117&cid=BEA9F1C5C31E323A&group=0

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