遥かなるアナトリア(文明の交叉路)を往く ~悠久のトルコ紀行~ 白井 俊和さん(19期)

201410-16 カマン・カレホユック考古学博物館は、2010年、「トルコにおける日本年」の一環として、日本政府の一般文化無償資金協力(トルコ文化・観光省に対し4億円余りを供与)により建設されました。その開館式には、三笠宮寬仁親王殿下及び彬子女王殿下、ギュナイ文化・観光大臣等が列席されました。

 今年の3月末、65歳定年で厚生労働省傘下機関での勤務を終えました。

 それまで“毎日が日曜日”の日々の到来を恐れていましたが、幸いにしてそれは杞憂に終わり、湧き起こる好奇心に任せて、新たなフィールドをエンジョイしています。孔子様の『心の欲するところに従えども、矩を踰(こ)えず』の境地には未だしですが、少しずつそこに近づいているという感覚があります。いつの時代にも空蝉を離れて彼方に想いを馳せる少年が少なからずいますが、小生も嘗てそんな時期がありました。その想いの対象は2つあり、ひとつは空間の宇宙、もうひとつは時間の古代でした。

 閑話休題、来年創設90周年を迎える大阪能率協会のメンバー20人(実業家と研究者たちのグループ)と共に、この9月下旬にトルコ共和国を旅しました。ご承知のとおり、同国と日本との間には浅からぬ縁があります。その象徴的出来事としては、(1)1890年、オスマン帝国フリゲート艦「エルトゥールル」号遭難に際しての和歌山県串本町民による乗員救出、(2)1985年、イラン・イラク戦争時のトルコ航空機による決死の日本人救出、(3)2013年、日本の援助に依るボスポラス海峡横断地下鉄建設などが挙げられます。

カッパドキアのトルコ石店で

 今回、カッパドキア・コンヤ・パムッカレ・エフェスなどの景勝地では五感全てを動員して遺跡と向い合い、古に想いを馳せ、そして魅惑の大都市イスタンブールでは、壮大な建造物群を巡り歩きました。トルコ共和国のアジア部分であるアナトリアと称される地域は、地理的には、地中海、エーゲ海、マルマラ海、黒海に面し、シリア、イラクなど、紛争地域とも国境を接しています。歴史的には、その遺跡・遺物などから紀元前6,500年頃にまで遡ることが出来るとのことで、この1万年近い間に、様々な民族や文明がこの地を支配し、去り、或いは滅んでいった歴史を思うと感慨無量です。

 もっとも、今回のトルコ行きの当初の動機はごく単純で、1つ目はカッパドキアで気球に乗って奇景を眺めてみたい、2つ目は神秘的な雰囲気に浸りたい、そして最後は妖艶淫靡華麗な本場のベリーダンスを見たいというものでした。ただ、これらの願望については、気球には乗れず、ミステリアスなムードの場もあまり無く、ベリーダンスは観客を巻き込んでの陽気なものだったということで、殆ど見事に裏切られてしまいました。その一方で、今回の遺跡巡りの旅でフルアテンドしてくれた、考古学専攻の優秀なガイドによる説明や指摘のおかげで、古代ギリシャ文明はギリシャ国内の限られた地域に留まるものでなく、また、メソポタミア文明もメソポタミアの限られた地域に留まるものでないといった、私にとっては、目からウロコの大変嬉しい発見がありました。

エフェス、大劇場を背景に

エフェス、大劇場を背景に

 一方、トルコ共和国の風土、眺望に目を転ずれば、乾燥する空気の中、茫々たる草原、洞々たる山岳、別惑星の如き奇岩怪岩の群れ、渺々たる蒼穹、エヴェレストからアルプスを繋ぐ北アナトリア山脈とトロス山脈、彼方に雪を頂き聳えるノアの箱舟漂着の霊峰アララト山。これら全て、敷島の大和とは眺望を全く異にします。しかし、村落と市井の家々は簡素質実の趣を呈し、食事は口に合い、人々は驚く程に親日的です。実はトルコの人達は祖先が日本人と同根であると信じており、しかも、そのストーリーを喜ぶという説があり、これが彼らの親日的表情や行動に繋がっているとか、これは件のガイドからの受け売りでした。

 今回は7泊8日の短期間ながら、重畳たる古代遺跡を眺め続ける濃厚な時間を過したからか、実際より長く滞在したように感じられましたが、ガイドによると、遺跡見学だけで1ヶ月は掛るらしいので、将来再度訪れ、ゆっくり廻って見たいと思わせる、名残惜しい旅でした。

白井 俊和(19期・1967年卒) -2015/10/8掲載-

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