一条の鎖、快傑 ハリマオ~東南アジア諸国との架け橋~ 白井 俊和さん(19期)

チャイナネクストを探る東南アジア3カ国への旅に出ました。大阪能率協会(会長:元パナソニック副社長少徳氏)の大森副会長(元住銀常務、大阪京大クラブ会員)からお誘いを受け、同会関係者約40人(現役経営者と学者等)に同行したものでした。

小生が代表幹事を2期4年務めた関西東大会(東大の関西に於ける同窓会、会員約600名)と京大の大阪に於ける同窓会である大阪京大クラブとは、小生の発案で交流を始めて今年で6年目に入っていますが、大森氏とはそこで知り合ったのでした。

さて、今回の訪問国/都市はミャンマー/ヤンゴン、バングラデシュ/ダッカそしてタイ/バンコック・アユタヤで、ミャンマーとバングラデシュは初めての、興味・好奇心の津津たる探索旅行でした。

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ミャンマー・ヤンゴンの湖上レストラン前にて

ヤンゴン・シュエダゴン・パゴダ(2500年の歴史、お釈迦様の毛髪を保存)

ヤンゴン・シュエダゴン・パゴダ(2500年の歴史、お釈迦様の毛髪を保存)

バングラデシュ・ダッカの‘リキシャ(人力車)

バングラデシュ・ダッカの’リキシャ(人力車)’

ところで、小生が小中学生の頃「快傑ハリマオ」というドラマがTV放映されていました。白いターバンを頭に巻き、黒いサングラス、手には拳銃を持ち、馬に乗って配下を引き連れ、正義を体現する、正に血沸き肉躍る物語でした。小生、東南アジアを訪れる折には、必ずハリマオが“日本との架け橋として、東南アジアで情熱的に活躍する日本人・現地人の象徴”として、脳裏に浮かびます。昨年訪れたインドネシア/ジャカルタでもそうでした。日本兵の落とし胤が立派に成長して、現地パナソニックの大幹部として勤務していて、感銘を受けました。

今回もいつものように、ヤンゴン、ダッカ、アユタヤの蒼穹にもハリマオの姿を描きました。そして、今に生きるハリマオと邂逅したのでした。しかも、3人でした。

1人目はミャンマーで逢ったイェトンさんで、日本語を上手に操る通訳でした。彼は日本語を寺子屋で習ったと言っていました。そして、どこで学んだのか、かつての日本軍と日本軍人の史実と活躍を我々日本人以上に知る博覧強記の人でした。

2人目はダッカの有力実業家、ブイヤンさんで、彼は日本に留学、日本人の妻を得て30年以上に亘り、日本・バングラデッシュ間の友好関係に貢献し、“旭日双光章”を天皇陛下より授与されています。実業家としての側面のみならず教育者として、ダッカに大学を新設する活動もしています。そして、それらの精神と活動はご長男に脈々と受け継がれています。

3人目は、日本人・小島正憲さん(丸紅とも取引があります)です。彼は上記ブイヤンさんと長年の友人であり、ビジネスパートナーでもあります。ダッカに日本向け高級服の縫製工場を持ち、“親獅子が子を谷底に突き落とすようにして、厳しく育てた”次男に運営を任せています。小島氏は岐阜の縫製工場の二代目で、先ずは中国に進出、そこで成功を収め、チャイナネクストのミャンマーでの失敗を乗り越え、バングラデシュは、ダッカで成功しつつあります。

以上の3人は特に小生の記憶に残る人物ですが、他に数々の老若の人士が彼の地と日本をつなぐ架け橋となって日夜働いていることを肌で感じることが出来ました。

“吾、何をかせざるべけんや!”との強い想いに駆り立てられた、意義深い旅でした。我もまた、日本と彼の地の結縁を強化する、一条の糸、否、鎖とならんことを希うものです。

白井 俊和(19期・1967年卒) -2015/1/18掲載-

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