槻友会 - 高槻中学校・高等学校同窓会

高槻中学校・高槻高等学校を卒業した1万6千人の頼れるネットワーク

新発掘・新展開・しっかりと「第2歩」……「歩み展」報告とお礼

 9月末の文化祭「高槻中学高校歩み展」は、槻友会のご協力の下、地味ながら充実した「第2歩」を印しました。創立の経緯に関する新資料あり、新見解あり、67年間を辿る試みあり、OBの出演あり、OB在校生の交流あり…。新生面が切り拓かれ、今後伸展しそうな萌芽の見られるミニ展示会・講演会となりました。お話しをしていただいた右田様(2期)と中村様(4期)、懐かしの品と情報を提供くださいました小阪先生(3期)、幻の学園新聞を寄贈してくださった竹永様(20期)、会場にずっと詰められた市川様(15期)、佐塚様(43期)、そしてご協力くださいました全ての皆さまにお礼申し上げます。

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 今年の「歩み展」の第1のテーマは、「創立の経緯背景」を探ることでした。「北摂地方の父兄の教育要望に応えて、藤堂献三初代理事長が広く京阪神の有志と相はかり…」という通説では見えてこない京阪電鉄と礒村弥右衛門初代高槻町長(市長)の働きに照明を当てたこと、これが特筆すべき点です。新たにそれぞれの社史と伝記を入手して紹介したのですが、礒村氏の功績はとりわけ大きかったようです。

 第2のテーマ、「草創期(戦時下と戦後)の様子」については、右田安拡様が体験をライブで語り、絵巻で示されました。軍国主義への吉川校長の対応に関する質疑応答も行われ、画期的な企画だったのですが、惜しむらくは聴衆の少なさ。でも、しっかりとビデオに記録してあります。

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 第3のテーマ、「生徒活動の足跡」の目玉は、「創部3年目スイ星のように現れた新鋭チームながら近畿大会予選では古豪を尻目に優勝した」(朝日新聞・1950年7月13日)野球部の中心選手中村孝太郎様のお話でした。グランド作り、ボールの手縫い修繕、野球理論の勉強などを生徒が主体的に進め、そんな中から関西六大学の主軸やプロ選手になる者も育ったという話に、驚きと誇りを禁じ得ませんでした。会場には永尾先生(前監督)、山田先生(現監督)、現役選手が集い、50有余年を隔てて新旧部員が意見交換を行う場面もありました。

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 新聞部は珠玉の生徒活動であり、その新聞は本校歴史の第一級資料です。1号(1946年12月)〜49号(1955年2月)および108号(1968年2月)は槻友会によって縮刷版にされていますが、中間の号が杳として行方不明でした。そのうちの半分、27号分がこの度、元部員竹永基二様のご好意で閲覧可能となりました。在部中に編集した104号が大阪府高校新聞コンクール3位入賞を果されたのだそうですが、40年以上前の新聞をよくぞ愛惜されていたものです。

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 最後にお願いです。在学中の資料、写真類をお貸し下さい。クラブ活動など、学校生活の様子をお教え下さい。特に、収集しているものは、

●欠落している高槻学園(高校)新聞……50号(1955年?)〜60号(1957年?)、62号〜78号(1961年?)、80号〜82号(1962年?)、99号(1964年)、109号(1968年)、111号以降。
●卒業アルバム、写真、生徒手帳、入学(学校)案内、学年配布物、文集
●加入していたクラブの情報……何部、時期、顧問、部長、活動内容
●1941年〜1960年の学校の様子。特に、戦争中および終戦直後

(「歩み展」教員有志代表 大塩直也)